プルーン百科Prune Encyclopedia

プルーン

プルーンの歴史

プルーンの生い立ち

プルーン発祥の地は、西アジアのコーカサス地方です。黒海とカスピ海に挟まれ、長寿の人(センテナリアン)が多いことで知られる場所です。この地から、乾燥したプルーン、さらには苗木がヨーロッパに持ち込まれ、南フランスのアジャンで盛んに栽培され、海を渡ってカリフォルニアにたどり着きます。

エジプト(紀元前2700年頃〜)

紀元前2700年頃、古代エジプト人たちは、ファラオを埋葬したピラミッドをはじめ、死者の墓にプルーンを供えたといいます。
当時、エジプトの上流階級の晩餐には、大麦や豆、パンとビール、ナイル川で獲れた魚や肉料理に加えて、生野菜や果物が添えられました。その中には、美しい紺のビロードのような野生のプルーンも。クレオパトラがシーザーをもてなしたテーブルにもプルーン入りの香ばしいケーキがあったといわれています。

銅器時代 メソポタミア(紀元前2000年頃)

人類がプルーンの栽培を始めた時期ははっきりとわかっていません。しかし、銅器時代の遺跡からは、プルーンが発掘されています。そして今からおよそ4000年前、チグリスとユーフラテスの2つの大河に挟まれたイラク南部のメソポタミアの地にやってきたシュメール人は、自分たちの薬を記した粘土板に“プルーン”という文字を記しています。

ローマ時代(紀元前500〜1400代年頃)

ローマ帝国初期の頃、学者であり政治家のプリニウスが著した『博物誌』には、プルーンが栽培されていたことが記載されています。古代エトルリア人やローマ人は、果物を栽培するだけでなく改良まで手がけていて、シーザーの時代には12種類のプルーンが存在したともいわれています。甘みがあり美味しく、保存性にも優れているプルーンは、貴重な貯蔵食品でもあったようです。

十字軍時代(1000〜1500年代頃)

アラビアで食べられていた「ダマスカス・プルーン」は、やがてヨーロッパへと渡ります。その契機となったのが、十字軍(1096-)でした。まずはスペインへと渡り、その後植物学者であるピエール・ブロン(1517-1564)によってフランスに伝わります。食文化の国であるフランスに渡ったプルーンは「クエッチュ」と呼ばれ、デザート、料理、民間薬などとして広まっていきました。

ルネサンス(1500〜1700年代頃)

フランスに伝わったプルーンの栽培は、16世紀に本格化し、さまざまな品種が登場することになります。中でも注目を浴びたのが「レーヌ・クロード」でした。フランソワ1世の妃であったクロード女王の名を冠したこの品種は蜂蜜に似た香りの洗練された味わいで、“プルーンの女王”と呼ばれています。ヴェルサイユ宮殿の王族専用の畑にも、6種類のプルーンの木が栽培されていました。

カリフォルニア(1800年代頃)

ヨーロッパからアメリカへとプルーンが大西洋を渡ったのが19世紀中頃の事。これにはプルーンが盛んに栽培されていた南フランス・アジャンに生まれ育った園芸学者ルイ・ペリエ(1817-1872)の存在がありました。彼は温暖なサンフランシスコに移り、フランスから持ってきたさまざまな果実の苗木を植えました。現在、世界のプルーンの大半がカリフォルニアで生産されていますが、そのほとんどがペリエが育てたプルーンの子孫だといわれています。

宇宙へ(2000年代頃〜)

2000年に入りプルーンは保存性や栄養面から、長期保存が必要で人体にとって過酷な環境である宇宙空間においても活用されています。

2013年、三基商事の「プルーンエキストラクト」が初めて宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙日本食に認証されました。

2018年には、宇宙日本食「プルーンエキストラクト」はアメリカフロリダ州ケープカナベラルより国際宇宙ステーション(ISS)に向けて飛び立ちました。

写真はISSにて撮影されたものです。